校歌「栄光の立教」
1921(大正10)年、本学が東京大学野球連盟に加盟したのを きっかけに作られたのが校歌「栄光の立教」。作詞は当時の学長事務取扱・杉浦貞二郎氏が、立教中学校教諭の諸星寅一氏に依頼。できあがった歌詞の各節末尾に、杉浦学長の発案で“自由の学府”を加えるなどして完成した。それに東京音楽学校(現・東京芸術大学)教授の島崎赤太郎氏が曲をつけ、1926年の卒業式で初めて公に歌われた。
第一応援歌「行け立教健児」
作詞者の小藤武門氏は1948年卒業のOB。応援団に入ったばかりの氏は、当時の草壁哲雄団長(応援歌「栄光立教」の作詞者)から、新しい応援歌を作るようにとの依頼を受けた。しかし、曲作りも戦争でいったん中断。 復員後、本学を卒業した小藤氏は仕事の傍ら再び曲の制作に取り組み、作曲家・土橋啓二氏の尽力を得て、6年ぶりに完成をみたのがこの「行け立教健児」である。
第二応援歌「St. Paul’s Will Shine Tonight」
1927(昭和2)年、アメリカ合衆国カリフォルニア州のセミプロチーム「フレスノ野球団」が来日。バスケットボールもこなすこのチームは本学のバスケットボール部と親善試合を行った。その際のティーパーティーの席上で、フレスノ側がアメリカで古くから歌われていた「Our Boys Will Shine Tonight」を素とする「フレスノ・ウィル・シャイン」を「リッキョー・ウィル・シャイン」ともじって歌ってくれた。それをその後バスケットボール部員が歌い継ぎ、「リッキョー」が「セントポール」と変化し、大学の応援歌となっていった。